離郷を余儀なくされた福島の老舗酒蔵「鈴木酒造」が、再興を誓って山形県に移住。ふたつの銘柄の祝い酒を、海外で展開することになった。狙いを定めたのは中国圏の香港や上海。戦略的なマーケティングが実を結びさっそく香港でブレイクすると、現地の欧米人にも受け入れられ、いま、その人気は世界へ広がりつつある。伝統ある酒蔵の思いと、挑戦の日々をたどる。
2つの故郷に誓った、酒蔵の再興。
山形県を縫うように流れる最上川の源流あたり。新潟との県境に朝日山地がそびえる長井市は、山々を白く染める深い冬の雪解け水が、軟らかく美しく、豊かな水量を約束する水郷だ。酒造りに欠かせない水に恵まれたこの地は、鈴木酒造店にとって、2つめの故郷である。
1つめの故郷は福島県。鈴木酒造店は、江戸時代の天保年間に酒造りを始めた老舗で、もともとは廻船問屋を営んでいたため、蔵は海原と堤防一枚隔てた場所にあった。代名詞は、凛とした海の男酒「磐城壽(いわきことぶき)」。縁起を重んじたハレの日の銘酒はしかし、酒蔵ごと、何もかもあの日の津波にのまれてしまった。
会社はいまなお休業状態。だが、再興に向けて動いていたところ、山形県長井市で廃業の危機にあった東洋酒造と縁があり、鈴木酒造店長井蔵としての再出発が叶った。東洋酒造の「一生幸福」という銘柄も引き継ぎ、「磐城壽」とあわせてふたつの祝い酒に再起をかけた。
中国圏に見出した、大きな商機。
仕込みは、少量を手仕事で丁寧に造る小仕込みの手法で。作業の一つひとつに酒を醸す喜びを噛み締めながら、あらためて、真摯に酒造りに向き合う日々。ところが、飲み手のニーズを捉えたいと思うほどに、ある壁にぶつかることとなった。流通を業者に任せていたため、いちばん欲しい、エンドユーザーの反応が届いてこなかったのだ。
ぶつかった壁の向こうには、商機があった。歯痒い思いのその矛先を、海外に向けてみたらどうだろう? もとより、海外需要を伸ばしたいとも考えていた。そして2018年秋、新酒を仕込む頃、鈴木酒造の「一生幸福」は海を渡った。
「一生幸福」は、ありのまま中国人に通じるネーミングだ。そこで、ターゲットを香港と上海に定めた。まず着手したのは、現地のディストリビューターや日本酒バーのオーナーらを通じたマーケティング。百貨店で取り扱われている日本酒銘柄の調査も行った。マーケティングは事前に仮説を立てたうえで実施したので、得るべき情報が得られた。
続いて、結果を踏まえ、突破口を開く試飲イベントを仕掛けることに。香港で500名を集客し、会は大成功に終わった。何より嬉しかったのは、求めていたエンドユーザーの声に直に触れられたことだ。酒の味わいにとどまらず、中国人の趣向や、パッケージデザインなどについても面白いことがわかってきた。
香港を起点に、世界へ拡散する「一生幸福」。
中国では縁起が良い「福」という字が喜ばれる。試飲会場では、若いカップルが酒瓶をもって写真を撮る幸せそうな光景もあった。香港で販売するにあたってラベルデザインも検討しようと、5案を持ち込みアンケートを実施。赤い背景に金の箔文字が最も人気だった。
「贈り物にしたい」という意見も圧倒的に多かった。「贈り物にしたいのでもっと値段が高くてもいい」とも言う。値段が酒の上質さに比例するのである。これらの貴重な意見を取り入れ、満を持して海外展開する「一生幸福」が完成。早くも好評で、年を追うごとに倍、倍の売上を見込んでいる。日本と同じように、香港でも祝い酒として定着しそうだ。
上海、台湾でも展開が始まっている「一生幸福」は、そこに暮らす欧米人にも受け入れられ、広がりを見せている。あの日、鈴木酒造店は海にのまれたのではない。時をかけて海を越え、見事に商流に乗ったのである。
これまでの成果
- 売上
- 渡航前の平成30年3月1日~同10月30日の8ヶ月に対し、渡航後の平成30年11月1日~平成31年6月30日の8ヶ月で2倍に成長(具体的な数値は非公開)
- 販売地域
- 日本、ニューヨーク、上海、フランス